支援活動2日目です。
作業の中心は瓦礫の撤去と樹木の伐採です。
初日に切り倒した大木を持ち運べるサイズに処理しながら、敷地一面に埋まっている瓦礫の撤去を同時進行で進めます。
安房なのはな隊さんが切り倒す樹木は、とにかく太いものばかり。
危険過ぎて素人には手出し出来ません。
重さにして2t以上はあるそうで、津波の影響で根元から1メートル位は空洞になっていました。
重作業を全てこなして頂いた安房なのはな隊さんには、被災者の皆さんはモチロン、同行させて頂いた私達も感謝感謝でした。
作業時間に限りのある被災地支援活動。
参加した皆さんが、各々仕事、家庭を持っています。
休みを利用し、たった2日間ですが僅かな時間を被災者の方々と共に過ごし、共に汗を流す。
ボランティアは究極の自己満足と言われます。
それで良いと思います。
樹木伐採作業をしている斜面から長塩谷を見下ろすと、地中に埋まった瓦礫を片付けている東京から来たボランティアさん達が見えました。
全く見ず知らずの若者達です。
たった数時間ですが共に汗を流しました。
私達も、彼らの存在がとても心強く、人の温かさを感じました。
千葉から数時間の時間を隔てた先には、友を必要としている人々が大勢います。
復興は始まったばかりです。
今、私達に出来ること。
1000年に1度と言われる大災害。
その国難に、同じ時代に生まれた者として、共に立ち向かうこと。
そして将来、この国の子孫たちは、きっとこう思う筈です。
「この国は温かい」と。
早朝鴨川を出発したボランティアチームが、目的地に到着したのは午後2時を過ぎていました。
マイクロバスを降り、作業着に着替えて直ぐに作業開始です。
瓦礫の撤去と並行して、アスカチームは地域の緑化作業。
安房なのはな隊さんは樹木の伐採作業に従事しました。
広大な土地を「ひまわり」で一杯にしたい 様々な支援者から贈られたひまわりの種を、数人で手分けして蒔きます。
横に根が張る雑草に阻まれ、なかなか土を耕せません。
しかも土中には、まだまだ陶器の破片やガラス、食器などの欠片(瓦礫)が数多く埋まっており、それを撤去しながらの作業です。
48ヘクタールの土地を花で一杯にしたい。
理由は、人口流失によって町(故郷)そのものを失いたくないからです。
周囲に多くの仮設住宅が建ち、住民は避難所から移動しています。
漁業と観光が主たる産業であった十三浜地区。
現在の状況では、特に観光産業の復活は相当な時間がかかるでしょう。
仕事と収入が途絶え、仮設住宅の中で不自由な日々を送る被災者は、新たな生活を求め、住み慣れた故郷から1人、また1人と離れているそうです。
故郷が消えてしまう。
支援先の長塩谷。
たった1棟だけ残った住居代わりの倉庫の中で、被災者のS氏は希望の灯を灯し続けています。
灯りが無ければここが町だった事など分からなくなる。
ここは私の、私の家族の、私の幼なじみ達の思い出が一杯詰まっている大切な場所なんです。
私まで居なくなればこの土地には誰も訪ねて来なくなります。
ここに花を植えることは、まだ人が住んでいるぞ!って伝える為なんですよ。
消してはならない灯りです。
S氏はそう話してくれました。
アスカチームが瓦礫撤去と畝作りに悪戦苦闘している頃、安房なのはな隊メンバーは、津波を被って立ち枯れてしまった樹木の伐採に取り掛かっていました。
視界に入る周囲の木々。
その中には、赤茶色に変色した杉などの大木が数多く見られます。
今回はS氏の要請により、北側の斜面に立つ巨木を切り倒します。
今回参加した安房なのはな隊さんメンバーは、山仕事経験のあるベテラン揃い。
素人では到底不可能な伐採作業を、斜面の角度や木の特性なども計算した上で、テキパキ作業をこなして行きます。
合理的でパワフルな作業に、作業を見ていた地元の方々からも、 うわ~ スゴイ!! と歓声が上がります。
前回の支援活動で伐採作業を経験しているアスカメンバーも加わって、重作業は薄暗くなるまで続きました。
2日目の模様は、次回ブログでご紹介します。
久々のブログ更新です。
4月24日から、昨年の東日本大震災発生から継続しているボランティア活動の為に、宮城県石巻市北上町へ行って参りました。
今回は私達と共に、予てから被災地支援を通じて協力関係にある中村隊長率いる 「安房なのはな隊」 の皆さん。
バイクレスキューとして震災発生直後から被災地で支援活動されている「㈲こころでっかち」の亀田社長さん。
そして、取材にも関わらず、一緒に瓦礫撤去作業に汗を流して頂いた「千葉TV」の小澤さん。
こころ温かな方々と共に、荷物満載のマイクロバス乗り込み、約600キロ離れた被災地を目指しました。
震災直後は、自衛隊や警察、消防の支援車両で溢れていた東北自動車道。
所々に地震による段差が残ってはいるものの、かなり舗装工事が進んでいました。
南房総からは、季節が2か月位遅れている春の東北では、この時期にサクラが満開。
昨年は、このサクラの開花にさえ気付きませんでした。
東北自動車道河北(かほく)ICで高速を降り、工事のため通行止めとなっていた北上川沿いの国道を迂回し、南三陸町側から石巻に向かいます。
国道45号線と398号線の交差点近くにある大破した水門の撮影が行われていました。
この付近は甚大な被害に見舞われた地域で、昨年の今頃は、想像を絶する量の瓦礫と車、船や漁具に覆い尽くされていた場所です。
初めてこの地に足を踏み入れた時に感じたのは、「得も知れぬ恐怖」でした。
その恐怖は、稚拙な文章能力しか持たない私には、とても文字に変える事は出来ませんし、言葉では到底説明出来ない類の感覚です。
ここを通過するのは、優に100回を超えています。
今感じるのは 「虚無」町が消えた広大な土地の向こうには、恐怖を運んできた海がキラキラと水面を輝かせています。
何もかもが消えた土地。
人影も疎らなその土地の中から、僅かでも復興を感じたい。
南三陸町から海岸沿いの国道398号線を石巻に向かう車内で、目が自然に「復興」を追い求めはじめていました。
私達の支援先は、石巻市北上町十三浜地区。
ここも大きな被害を出した地域です。
3つの集落に分かれた十三浜地区の中央が目的地の「長塩谷」です。
約9時間をかけて現地に到着。 現地の方(被災者)に簡単な挨拶をし、直ぐに作業開始です。
支援活動での時間は重要です。 決められた時間内で、如何に効率良く作業するか。作業完了出来るかが大切なことです。
特に、今回は瓦礫の撤去の他、津波をかぶり立ち枯れてしまった危険な樹木の伐採が課題でした。
安房なのはな隊さんの協力無しでは出来ない重作業の模様は次回のブログでご紹介します。
東日本大震災を契機に、災害への備えに対する意識が高まった様に思います。
町のDIYショップ(ホームセンター等)には防災グッズコーナーが設置され、非常持ち出し袋や水の簡易濾過装置、ラジオ等も売れている様です。
写真は、最近たまたま入手した防災グッズです。
缶詰の大きさも小型で携帯性抜群。
我が家の非常用持ち出し袋にも是非1つ、入れておきたいものです。
次は、やはり震災後に需要が大幅に伸びた「電池式ローソク」です。
お仏壇用ですが、停電にも影響されず、万が一地震で倒れても火災の心配もありません。
照度もあるので、イザと言う時には懐中電灯代わりににもなりますし、電池寿命も長く、仏具兼防災用品として重宝しそうです。
身近な物から、世の中の変化を感じます。
物事の捉え方、考え方、心の持ち方。
あらゆることが、震災を機に変わった日本。
この国の在り方も、国民全員でもう一度考え直す時なのかも知れません。
今月発売されたシングルCDです。
収録されているのは、「ともだちのうた」と「今日は雨降り」の2曲。歌っているのは歌手の青木雅史さん。
ある方から頂戴し、たまたま手にしたこのシングルCD。
再生してみると、ボーカルの青木さんの声が耳に心地よく、詩も心打つものがあり2曲共になかなかの名曲です。
CDジャケットには、曲名と作詞・作曲者が列記されていますが、2曲目の「今日は雨降り」の作詞者名に、「作詞:石井克秀」と記載されています。
どこかで聞いた事のある名前・・
石井克秀、石井克秀、
い・し・い か・つ・ひ・で・・・・
あれっ!! 鴨川店の営業マンの石井さんと同姓同名????同姓同名どころか、本人その人でした!!
この曲の作詞者は、弊社鴨川店の営業マンの石井さん。
アスカに作詞家が在籍です。
以前のブログで、弊社には様々な社員が・・と書きましたが、まさか作詞家が在籍しているとは・・。
本人曰く、以前(20年前)から作詞に興味があり、コツコツ書き溜めていた中の作品だそうで、ある詩の募集企画に応募したところ、なんなく入選しCD化されたとか。
いやはや・・・
凄い人が身近にいたもので、次の作品が楽しみです。
この写真は早朝の鴨川駅東口の風景です。
写真では分かり難いかも知れませんが、人気の無い駅前の通りに、赤い袋を持ったアスカの社員3名がゴミ拾いをしています。
このゴミ拾いへの参加は、社員の自主性に任されています。
皆早めに出勤し、マイクロバスで鴨川駅周辺や国道沿いの、比較的ゴミが投棄されている場所を重点的に、環境美化活動を行っています。
ゴミを何気なく捨ててしまうことに、さほどの罪悪感は無いでしょう。
煙草の吸殻1つでは、大きな環境破壊になどならないからです。
それこそ、放射能垂れ流しの現実の中にある今、ゴミの1つくらい可愛いものだと思ってしまいたくもなるでしょう。
しかし、悪気の無い行動も数が増せば大きな問題になります。
ゴミの投棄はモラルの低下につながり、慢性的なルール無視の風潮が町に流れ出すと言います。
現に、ゴミの多い地域には駐車違反が増加するそうで、放置すれば、やがては犯罪に結びついて行くそうです。
小さなゴミを丹念に拾うこと。
大切なことです。
「継続は力なり」
鴨川が大好きだから、もっともっと素敵な町になれば。
そんな思いで、今朝も赤いゴミ袋を持って町に出かけました。
鴨川法輪閣周辺に春の香りが訪れています。
道端の草花も緑を増し、夜にはカエルの声が一段と数を増しています。
近くにある鴨川富士と呼ばれる小山には、寒さが厳しかった頃よりも、鳶がユックリと大きな輪を描きながら、麗らかさを楽しむように飛んでいます。
満々と水が張られた水田では、いよいよ田植えが始まりました。
この季節が一番好きです。
活気ある夏への準備。
全ての生き物が活力を込め始める季節。
朝の空気や夕暮れ時の香りは、無事に冬を越える事ができた自然界の生き物たちも、私たち人間と共に感じていることでしょう。
生きることの「素敵」は、こんな小さなことなのかも知れません。
昨年の震災直後から、私共アスカは様々な形で、被災地への支援活動を行って参りました。
未だに復興の兆しの見えない東北地方。
宮城県石巻市での支援活動も回を重ねる毎に、難しさを増すような気がします。
さて、今月下旬に再び石巻に向かいます。
今回は、安房なのはな隊の皆さんと協力しての活動です。
前回の支援で被災者の方からの要望として、「瓦礫撤去に使うダンプカーがあれば」。とのお話があり、安房なのはな隊さんが大切な軽ダンプをご提供くださいました。
被災者の方々の喜ぶ顔が目に浮かびます。普通の軽トラックは現地にもあるのですが、瓦礫を集積場所に捨てる際の作業は大変な労力です。
軽ダンプがあれば、荷台から瓦礫を下す手間が大幅に軽減され、作業効率も上がります。
被災地の皆さんとは、震災直後から早くも1年のお付き合いとなります。
1年前とさして変わらない状況が続く被災地。
私達の力は小さなものです。
しかし、「被災者」という立場の同胞を思い遣る気持ちを皆で持ち寄り、力を合わせれば、協力支援の輪はドンドン大きくなり、やがて本当の意味での復興につながる。
疲れ果てた人の心を元気にするのは、唯一「人の心」だけだと思います。
私共は、心からそう信じています。
被災地に行って参ります。
真心を満載した軽ダンプと共に。
アスカ鴨川店前の道路。
平日は交通量も少なく静かな県道ですが、休日ともなると、行楽の他府県ナンバー車両で一気に交通量が増します。
それでも都会に比べれば、とてものどかで時間がゆっくり流れる地域。
人情味一杯の心温かな地域です。
たまたまその県道を歩いていた時、小さな路地の入口に妙な物がぶら下がっているのに気付きました。
何だこれ!?
近付いてみると、草鞋と、やはり藁で編んだ筒の様なものが木の枝からぶら下がっています。
誰かのイタズラ?
ちょっと気味悪く感じながら、会社に戻ったところ、何と、会社の敷地内の枝にも同じものが・・!!
いったい何だこれ?
毎日利用している通路の脇に、またしても不審な草鞋を発見です。
さっそく調査開始。
本社はベテラン社員がお休みで、若手は首を傾げるばかり。
鴨川店の社員からも、なかなか明確な回答が得られません。
そこで、地元鴨川在住ベテラン社員のFさんに聞いてみました。
ご実家が農家であるFさん、「ああ、これはね」と教えてくれました。
この草鞋は、鴨川地域の習慣で、集落の入口(境界線)の木などに付けられているもので、藁で編んだ草鞋(わらじ)・サンダラ(帽子様のもの)・徳利(筒)で一組を成しています。
集落に悪魔や疫病などの災いが侵入しない様にと、古来より魔除けとして伝承されてきた習慣だそうです。
また、面白い事に完全な形をしている物はNGらしく、発見した草鞋も半分が切れています。
なぜ完全な物ではダメなのか理由は分かりませんでしたが、それは今後の課題として、とにかく不審物件の正体は概ね判明しました。
鴨川に伝わる古い習慣を知り、地域と家族を愛する人々心に少しだけ触れられた様な気がしています。
多くの社員が在籍するアスカグループ。
様々な経歴や、特技、特徴、そしてご家族を持った人がいます。
本社企画室の女性社員 S さんのご実家は、館山市内で喫茶店を営んでいます。
Sさんが入社して間もない頃、そのお店で作っているケーキを会社に持ってきてくれました。
Sさんのお母さん手作りの苺のシフォンケーキ。
食べてみると、これまで経験した事のないシットリとしたフワフワ感にビックリ!!
甘さも、苺の酸味とのバランスが絶妙で、決して甘党ではない私でも食べ飽きることがありません。
他の社員も「美味しい~」を連発!
喫茶店のお客様にも大評判だそうです。
今まで食べた事の無いその食感と美味しさに、ふと妻の顔が浮かびました。
ちょうどホワイトデーのタイミングでもあり、無類のケーキ好きである妻にこのケーキをプレゼントしよう! と思い立ち、さっそくSさんにお願いしました。
数日後のホワイトデー。
プレゼントのケーキを渡すと、妻はとても喜んでくれました。
綺麗にラッピングされた包みを開け、ケーキを切り分け、美味しそうにモグモグケーキを頬張りながら、プレゼントの経緯を聞く妻の目が輝きを増しました・・。
- 妻の思惑 -
1、Sさんのお母さんのお店が、自宅から近い。=友達を誘って食べに行ける
2、たくさん種類があること。=全種類制覇の野望(シフォンだけでも柚子・苺・さくら・煎茶・栗 etc)
3、亭主の小遣いをあてに出来ること。=自腹を傷めず美味しいものを好きなだけ
長年連れ添うと、表情からその魂胆は推測できるものです。
案の定、3口目を飲み込んだあとの言葉は、
「次は さくらのシフォンかな~~」
この日から、我が家のホワイトデーは月2回、年間24回となりました・・